岐阜県の重要無形文化財「糸切りからくり」

 久田見祭りに登場する、その人形の動きの秘密は「糸切からくり」という独特な技法と操作にあり、歴史的、芸術的な価値も評価されています。
 また、祭りには欠かせない「祭り囃子」は、先代から楽譜など、何の記憶媒体も無く祭りを愛する町の人達の間で受け継がれてきました。

口伝によって伝えられる祭囃子

久田見祭りの「祭り囃子」は、細めの竹「女竹」に指穴をあけた、日本古来の素朴な横笛、「篠笛」で演奏されます。
笛の練習は、お祭りの二ヶ月前ほどから実施され、楽譜など何の記憶媒体も無く後世へと口伝されます。
久 田 見 祭 り は 天 正 1 8 年(1590)から始められたといわれていますが、「糸切りからくり」の出し物の内容や祭り囃子の音色は、人から人へと世代をまたいで四〇〇年以上大切に引き継がれ、現在の久田見祭りが出来上がっています

experience01自然環境

「苗木道」と呼ばれた「黒瀬街道」
「苗木道」と呼ばれた「黒瀬街道」  黒瀬街道とは、八百津黒瀬湊から恵那市福岡町、苗木城下を結ぶ約40.57km、幅約2mの昔の幹線道路です。蛭川、中野方、福地、久田見の各村では、中央部を貫いて大変利用度が高い生活道路でした。
人馬の往来も多く、物資の輸送により苗木領の人々や各村々を支えた生活道路でした。また、往来する人たちのために、一里塚も設けられていたようです。
そのため、明治から昭和の初めにかけて、各村々毎に改修工事なども行われて維持されてきましたが、最近の車社会の発達により、幅広い道路が要求されるようになました。そのため現在では、廃道になり、利用する人もない状態となっています。
 荒れるがままに山林原野化し、雨水の流れも岩肌をむき出して、草木が生い茂って、昔の栄華の道も現在では、獣道と化しています。かつての昔の重要生活道は、今や消滅しようとしており、この道を歩き、馬の背に荷物をつけて、黒瀬通いの人々路傍の石ころまでも熟知した人たちも一人二人とこの世を去り、知る人も少なくなってきています。

experience02山の資源

村境をめぐる「山論」
村境をめぐる「山論」  古くの時代、村や藩ごとの境界は不明確で、なかでも山林地内は、複雑な地形や、急峻な谷間、 展望がなく曖昧なものでした。  八百津町の「山論」は、福地と久田見(かつての苗木藩と尾張藩) との間でのこと。江戸時代の半ば頃からたびたび起こっていましたが、村の実力者村役によるその都度の調停で、不満がありつつも口争いや小競り合い程度のものでした。
 ところが、江戸幕府の徹底した年貢制 度は、村人の死活問題となりました。年貢米をつくる田の唯一の肥料は山野の木草でした。
 その確保量で米の収穫の多寡 が決まるようになると、それまで自由に採草できた原野や山林の占有権を村それぞれが主張し、紛争の種となりました。
 福地と久田見との大山論は、文化10(1813) 年。鎌・くわ・ナタ・ 竹槍などを持ち出す争いは、多くのケガ人も出たそうです。のち6年余り地元で解決を模索 するも小競り合いは続き、遂に久田見村が尾張藩をバックに 江戸の奉行所へ提訴。
解決に至 るまで4年を要したそうです。

experience03歴史・文化

黒瀬湊の中継地「久田見」
黒瀬湊の中継地「久田見」  八百津町は古くから舟運で栄えた町です。
物流の拠点として栄えた「黒瀬湊」のある黒瀬に住みつく人が増加していくにつれ、従来兼山へ運ばれた山荷物が黒瀬で売られるようになりました。久田見は、しだいに黒瀬湊の中継地点として物資の配送などに当たるようになり、荷物を馬の背に乗せて運ぶ人馬でにぎわっていきました。
 また、町の中心地には問屋があり、現在はその形すら消えていますが、屋敷などが当時の面影をしのばせます。恵那、白川方面からも必ず久田見の問屋を通って黒瀬湊へ。久田見が重要な交通の要所として大いに商業の発展に寄与しました。
宿泊所や飲み屋、遊戯場などがあって、町中も大変にぎわっていました。
 天正十八年(一五九〇)稲葉右近方通がこの地方を占領した時、久田見の中心地は山村には珍しく固まった町並みを形成しており大集落であったため、都会に習って現在の祭りを始めさせたと伝えられています。

experience04ヒト

舟運で栄えた町の地酒
舟運で栄えた町の地酒 八百津町立久田見小学校の6年生は、地域の伝統行事である「久田見祭り」を深く学びます。
祭りに詳しい地域の方を講師に、祭りの歴史やだんじりの特徴、糸切りからくりのしくみについて話を聞きます。子どもたちにとって、小さな頃から参加してきたなじみ深い久田見祭り。そのすばらしさを再認識する場になっています。久田見祭りの「祭り囃子」は、細めの竹「女竹」に指穴をあけた、日本古来の素朴な横笛、「篠笛」で演奏されますが、この「篠笛」も、授業で実際に作ります。子どもたちは祭り本番で、自分で作った篠笛を演奏しています。

experience05地元の味

黒瀬街道ではこばれた山の特産品
黒瀬街道ではこばれた山の特産品 山国の特産物は黒瀬街道を人馬に背負われ、中継地の久田見を経て、木曽川の黒瀬湊へと運ばれ、舟に積まれて下流各地へと送られていました。
下りの一艘に載せられる荷物量は四六〇貫(約一七二五kg)で、炭、薪、氷、木材、コンニャク芋、お茶、生糸、雑穀であったとされています。
今でも冬が近づくと、地元で採れたこんにゃく芋で作った手作りこんにゃくは、直売所の店頭にならびます。

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