かつて八百津は、木曽川上流で伐採した木材を筏に組む要所であったのと同時に、様々な商品も交易されていた地でもありました。
物資を川で運ぶことを「舟運」と呼びます。山国の特産物は黒瀬街道を人馬に背負われ、中継地の久田見を経て、木曽川の黒瀬湊へと運ばれ、舟に積まれて下流各地へと送られていました。
下りの一艘に載せられる荷物量は四六〇貫(約一七二五kg)で、炭、薪、氷、木材、コンニャク芋、お茶、生糸、雑穀であったとされています。
八百津町のお茶は、主に標高600メートルを超える「福地エリア」、標高520メートル「久田見エリア」で栽培されています。
お茶の品質を決める非常に重要な要素の1つが茶園の標高。また、当時の流通経路となっていた「黒瀬街道」沿いであるという好条件も手伝って発展していきました。